年賀状考

2013-12-29 (日)
- 素人思考

12月に入ってくると、頭の片隅に進入してきて「そろそろやらなきゃなぁ~」など思いながら、なかなか腰が上がらない。 そして直前になって「やばいっ!」と焦りだし、睡眠時間を削るハメになる。そして「もっと計画的に取り組んでいれば…」と必ず後悔するもの--
年賀状の季節がやってきた。

古来からの日本の風習ですが、年末の仕事はギリギリまで組まれていて、きっと昔ほど余裕はないんだろうな。
そして最近かなり自分の気持ちの中で作業っぽくなってきたと感じるようになった。
ネットで色々調べてみると「年賀状止めた!スッキリした」という人も少なくないようだ。

そこで年の瀬ではあるが、年賀状について少し考えてみた。

年賀状が作業になってきた

生徒から12月中旬あたりに
「先生!私、この前の休みに年賀状書いたんだ!30枚も!」
という自慢話を聞き、その30枚の中に自分は絶対入っていないな失礼なヤツだ。など思いながらふと考えた。
そういえば自分が小中学生の頃は年賀状を書くのももらうのも楽しみで仕方がなかった。

話を聞いてみれば、その年賀状30枚はすべて手書きという。きっと大変だっただろう。でも楽しさの前には大変さはない。 その生徒はパソコンが使えない子ではないだろうが、せっせと手書きでしたためた心のこもった年賀状だろう。

自分も小学生のときはパソコンがなかったということもあって、手書きで書いていた。 中学生になってプリントゴッコ(※)なるハイテク機器が登場して、それに使い出したもののイラストは何にしようかとあれこれ考えていたこと自体が楽しかった記憶がある。

(※)プリントゴッコ…理想科学工業が出していた家庭用の小型印刷器具。多色刷りの版画を手軽にできるイメージ

それが社会人になってからはどうだろう。
「やばいっ!」と思ってから裏面はパソコンで作成。下絵なんて考えてすらいない。
最近では郵政の年賀状サイトまで用意されていて、そこからテンプレートをダウンロード→印刷して終了。
そして大半は宛名まで住所録をプリンタに流し込んで終了という、なんてコンビニエンスになったのだろう。

だが完全に作業になっている。そして作業なのでつまらない。
昔のような年賀状のワクワク感はどこへ行ってしまったのだろうか。先に書いたように「年賀状やめた!スッキリした」となるのもうなずける。

書いている時間がない!

年賀状をやめるのも結構だが、新年に年賀状が1通もないというのも寂しい。そして調べてみれば年始の挨拶状は平安時代から続いている風習…日本人として止めてしまうのも微妙。
もっとも断舎利ではないが、寂しいとかもったいないという感情を断たなければならないのだけれど。 自分は書きたくないけど貰いたい。などというそんな我侭が通用するはずもない。

誰もが1年の最初に心のこもった年賀状をもらいたいと思うもの。「年賀状やーめた」という人も日本の風習なのだから、どこかでそう思っていると信じたい。 が、年賀状が作業化してきて苦痛になっているのも、ひとつには時間がないということが影響していると思う。

学校の冬休みは25日午後から始まったものの、教職員も一般企業と同じように仕事納めは12月27日。28日から大晦日まで4日しかない。しかも郵政省は元旦に届いて欲しけりゃ12月25日まで投函(※)など無理難題をふっかける。

(※)12月25日まで投函…25日まで投函分は確実に届ける。それ以降は「元旦配達に努力する」というもの。実際は30日に投函してもかなり頑張ってくれます。

まぁ、だったら天皇誕生日を含む連休だってあるわけだから、早くから準備しとけよというお叱りもあるだろうけど。

再考のとき

自分が中学生のときは変な意識があって、年賀状の数=友達の数と思っていた。そのため、さほど親しくない友人にもせっせと年賀状を送っていた (さすがにクラス全員に送りはしなかったけど)。でもあるとき、ふと馬鹿らしくなって年賀状を書くのを一切止めた。

すると来る年賀状の数も激減。2,3年経つとほとんど来なくなった。

社会人になってからこれではまずいと思い始め、再び年賀状を書くようになった。
今度は社交辞令的な意味が強くなっていった。
自分は転職と異動を3回しているので、そのたびに出会いが増えていき年賀状の数も膨大になってきた。 本来年賀状とは遠方にいるため新年の挨拶が直々にできず申し訳ない、書状で失礼だが1年が良い年であるようにお祈り申し上げるといった心がこもったもの。
社交辞令的な年賀状はもうそろそろ脱却しても良いのではないか。

そんな風に思うようになってきた。

ネットで調べてみると、返事方式に切り替えたという人が多いようだ。頂いた年賀状に返事を書くというもの。
ただそれだとやはりお世話になった上司や先生には失礼だというのが弱点。

今年はパソコンがぶっ壊れて住所録が電子の塵と化したこともあり、どうしても出しておきたいお世話になった先生以外は、 今年年賀状を頂いた方に出した。これで返事が来なければ来年から出さなくても良いと思う。また何年も返事として来ている年賀状も出さなくて良いかもしれない。
お互いに負担は軽くした方が良いだろう。

もらって嬉しい年賀状

調べてみると、あまりうれしくない年賀状という記事をみつけた。
これによれば次のようなアンケート結果になっている。

1)印刷された文字だけ(3937人)
2)営業色が強い内容(3839人)
3)子供の写真入り(1545人)
4)ファックス(1491人)
5)お年玉年賀はがき以外(1424人)
6)メール(1052人)
7)文面が乱筆(985人)
8)その他(1472人)

朝日新聞

1位はよくわかる。宛名書きも印刷、裏面も印刷で終了。というのはいささか味気ない。どんなに忙しくても直筆のコメントがあればどんなに嬉しいか。

ただこの一言コメントが曲者だ。これがまた時間がかかる。
そして年賀状だけの付き合いの人もいるので何を書いてよいか迷う。何年も印刷だけという年賀状はどうしてもという人以外はそろそろ出さなくてもよいかもしれない。

2位はもちろんだろう。眼鏡屋とか飲食店から年賀状もらっても嬉しくない。
さすがに友人・知人関係で営業色の強い年賀状は受け取ったことはないけど。

子どもだけの写真は必要悪か

2ちゃんねるとかで必ず話題になるのは、子どもの写真だけの年賀状なんて興味ねーよ!!というもの。 先の朝日新聞のアンケートにも3位に入っている。
これは正直悩ましい。

年齢を重ねていくと、周囲はどんどん結婚していく。そしてどんどん子どもが生まれていく。 ここ数年で子どもの写真入り年賀状は本当に増えた。かつては親戚でもないのに、知人の子どもの顔なんてどうでもいい。正月からそんなもん送りつけてくるな!
と本気で思っていた。

最近は別にどちらでも。別に気にしない。という考えになってきた。

本気でウザイと思っていた頃は周囲に独身が多かった。そして独身連中にはこの考えは受け入れられた。
例え結婚して子どもができたとしても、子どもの写真の年賀状は絶対送らない。そう誓いあったものだった。

ところがそいつが結婚して子どもが生まれた途端、手のひらを返したように、子どもの写真入り年賀状を送ってきたのには笑ってしまった。
後日会ったとき、かつての話はどうなったんだと問い詰めると、そいつはバツが悪そうに自分は嫌だったんだけど嫁が…と言いづらそうに喋った時は結婚って大変だなと思ったw

今では7割以上の年賀状が子どもの写真入り年賀状だ。マナー違反という人もいるけれど正直よくわからない。

ただ、この意見には「なるほど」と思った。

131: 名無しさん@13周年 2013/12/21(土) 18:35:53.93 ID:RPWqGe4t0

子供の写真、送ってくるのはいいけど
やるなら最後まで一貫してやれといいたい
こういうの送ってくるやつに限って途中でやめるんだ
せっかく娘がかわいくなってこれからと言うときに

2ちゃんねる

最近どちらでもよいと思うようになったのは、自分のように無料素材を適当にダウンロードして作っている年賀状も決して良いとは思わないからだ。
それと比べたら、どの写真載せようか選んでパソコンで作ってと手間暇かけてくれた方が、よっぽど良いと思う。

ただ独り身の自分には、友人の子ども写真年賀状はつらい。
自分より先に親に見られると

「○○君も結婚したの!子どもも生まれたのね~」

など親から言われ、新年早々微妙な空気になるからだ。

少しでも心がこもった年賀状を

時間の制約が厳しい中だが、少しでも心がこもった年賀状を書こうと思う。
そのために何年もずっと取り組んでいることが宛名書きは直筆と一言コメントを書くこと。

年賀状ソフトがないわけではないが、宛名直筆はもはや自己中の世界。
達筆の先生から年賀状を頂くと、すごいと思うし自分も少しでもその高みを目指したい(が、字は相変わらず下手だ…)

一言コメントは先に述べた通り、これも譲れない。
だから少しぐらい年賀状の枚数を減らしてもバチはあたらないんじゃないか。

来年の年賀状はもう書いてしまったけど、再来年は手製のハンコや絵も面白いんじゃないか。
どうせ書くなら味のある心こもった年賀状にしたい。

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